午前十時の映画祭にて、パートナーと一緒に黒澤明監督作品「赤ひげ」を鑑賞した。
私なりに映画で気になった箇所の感想を述べたいと思う。
映画 「赤ひげ」とは
山本周五郎原作の『赤ひげ診療譚』を基に映画化された本作。1965年4月24日公開。
舞台は、江戸時代。長崎でオランダ医学の為の留学を終えて、江戸に戻ってきた保本(やすもと)は父の勧めで、小石川養生所を訪れ、強制的に勤めなければならなくなり反抗するが、そこで出会あった「赤ひげ」と呼ばれる医師と交流し、貧困と無知に苦しむ患者である庶民たちに触れていくうちに医師として彼らに向き合う決心をしていくのであった。
主な出演者
新出去定(赤ひげ)三船敏郎
保本登 加山雄三
津川玄三(保本の同僚)江原達怡
森半太夫(保本の同僚)土屋嘉男
お杉(狂女の女中) 団令子
狂女 (大店の娘、精神病患者)香川京子
佐八(車大工)山崎努
おなか(佐八の妻)桑野みゆき
おとよ(娼家から引き取られた娘)二木てるみ
きん(娼家の女主人)杉村春子
長次(小鼠泥棒)頭師佳孝
六助(蒔絵師)藤原鎌足
天野源伯 (まさえの父) 三津田健
まさえ(天野の娘)内藤洋子
ちぐさ (まさえの姉) 藤山陽子
おとく (賄のおばさん) 七尾伶子
おかつ (賄のおばさん) 辻伊万里
おふく (賄のおばさん) 野村昭子
おたけ (賄のおばさん) 三戸部スエ
午前十時の映画祭11にて上映中
『赤ひげ』は、午前十時の映画祭のグループB劇場で、2021年10月14日(木) まで上映中。
古い映画だが、デジタル修復されていて映像は鮮明になっている。
興味のある方は、是非ともご鑑賞あれ。
映画の感想と考察(ネタバレ含む)
以下は、ネタバレを含む感想なので、映画未見の人やネタバレを知りたくない方は、鑑賞してからご覧ください。
赤ひげについて
赤ひげの印象的な台詞がある。
「我々が出来ることは、貧困と無知に対する闘いだ。」
「政治が貧困と無知に何かした事があるか」
「人間を貧困と無知のままにしてはならんという法令が一度でも出た事があるか!」
「貧困と無知さえ何とかできれば、病気の大半は起こらずに済むんだ。」
現代でも、国民が貧困と無知であるが故に、悲劇が起こっているのが現実であると思う。
困窮していても、申請すれば貰えるお金や補助があったりするのに、無知であるが故にそれらに頼れず行き倒れたりする。税金や年金などの支払いの案内はキッチリと督促してくるのに、それを免除する手続きや申請などのやり方はろくに教えて貰えない。
正しい性教育がなされていなく、無知であるが故に、子供を独りで産んで死なせてしまったりする事件が起きる。これに関しても、日本では大人もよくわかっていないのが現実なのである。
江戸時代であろうが、現代であろうがその点ではあまりかわっていない。
だから赤ひげも医者として出来ることは、庶民に知識を与えること、救済の手を差し伸べることであると言っているのである。
我々も、政治が教えてくれないなら自ら情報を獲って生き延びねばならないのである。
大店の娘・狂女と赤ひげについて
大店の娘である狂女は、如何に精神を病んでしまったかというと、幼い頃に番頭に性被害に遭い「このことを誰かに話したら殺すぞ!」と脅されていたようである。それから男を見ると簪で刺し殺したくなるらしい。そう言う事情があるにも関わらず、赤ひげは「そんな経験は、どんな娘にもある。あの娘は元々色情狂なのだ!」などと宣っている。そのくせ、娼家で酷い目に遭っていた【おとよ】を救っている。ここで、彼は矛盾しているのでは?と思った。
現代でも、性被害に遭っている女性は、よく居る。よく居るが、被害者からすれば、そんなことは、よくあってたまるものではない。狂女のように心に傷を負って精神を病んでしまうことだってある。
それなのに、狂女に対して「誰しもよくある経験なのに、狂って男に色目を使って殺人を犯しているのだ!」という主旨のことを言い放つ赤ひげは、何だかとても冷酷に見えた。
最後には、こんな父親を持ってかわいそうに…と同情はしているが…?
赤ひげといえば庶民のために心を砕いて治療にあたるというイメージではあるが、ここでの彼の真意が私には、よくわからなかった。
佐八と【おなか】ついて
【おなか】についてあの女は、勝手に思い込んで佐八も今の夫も子供も不幸にしていて、どうなんだ?という意見も多いらしい。
その意見もわかるのだが、彼女は恐らく親に【あの人(現在の夫)には、恩があるんだよ】と永年呪いの様に言われたと思われる。腹を括って佐八の元へ行って一緒になったものの、彼女の心の奥底には、恩義と罪悪感が、ずうっとグルグルと渦巻いていたのではなかろうか?そしてあの地震がきっかけで、それが溢れ出してしまった。こうした経験をした事がない人は、理解し難いと思うだろうし【おなか】は特に、真面目で優しく、何でも重く受け止めてしまう性分ではなかろうかと思う。
赤ひげの中には、不幸な生い立ちの人がこれでもかと出てくるわけだが…その中でも【おなか】が1番悲劇的だと思った。それだけ彼女の心の闇は、深いと思う。
悪く言えば彼女には、覚悟も足らなかったし、認知も歪んでしまっていると思う。
でも、彼女こそ赤ひげや保本に出会って治療を受けていたならこんな悲劇的な結末にはならなかったのではと思う。
【おなか】と佐八が再会した風鈴の演出について
生き別れた妻【おなか】と佐八が、ほうずき市で再会する場面で、一斉に風鈴が鳴る演出がある。
この演出についてとても感動した、ドラマチックで印象的である!二人の純愛がよく表されている!との意見が多いが…私には、全然違う感情が芽生えた。あの迫力のある風鈴の音を聞いて、とても恐ろしいと思った。
五月蝿いくらいの風鈴の音。自分ではない男の子を産んで、その赤子を背負っている妻。去っていく妻の後ろ姿を見送る時に、足元で寂しく鳴っている風鈴の音。妻が軒先に風鈴を吊るしてから命を絶ってしまったことも…
佐八はこの先、夏が来て風鈴の音を聴くたびに、おなかと再会した悲劇の時を思い出すだろうと思った。その証拠に、佐八は永年、死ぬまで妻のことを思い続けていた。このように聴覚や嗅覚というのは、まるでパブロフの犬のように、人の記憶の中に深く深く刻み込まれるものだと思うのだ。
佐八のその後の生活や心情に思いを馳せると、居た堪れなくなってくる。
賄い所のおばちゃんたち
小石川養生所の台所で、せっせと働くおばちゃんたちも印象的であった。
脇役なのだが、存在感がすごい。貧困と無知である患者がいる養生所での人間模様を見ていると辛く苦しくなってくるが、彼女たちの持ち前の明るさと優しさで、その想いもほぐれてくる。お杉や【おとよ】の恋愛事情に色めき立ち、ガハハと笑ったり、彼女達は【おとよ】がイジケていたり、小鼠泥棒の長坊に対して「なんだい!あの子は!」と怒り出すが、彼女や長坊の事情を知ると直ぐに理解して味方についてくれる。娼家の【きん】に大根で応戦し、見事に追い返した場面など、実に痛快であった。
単純明快ではあるがとても情に厚く、心優しい愛すべきおばちゃんたちなのである。
以上が、私の赤ひげの感想である。
赤ひげのソフトのご紹介
古い映画だがソフトも出ているので併せて紹介したい。
DVD &Blu-ray
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