今、話題になっている山崎貴監督作品、ゴジラ-1,0を初日に鑑賞してきた。
予告を見る限り、特撮の迫力も物凄いもので、期待が膨らんだ。しかし同時に不安もよぎった。
最初の印象は、もしかして自衛隊の武力が必要なのだというようなことを訴える映画だと思っていたが、アルキメデスの大戦で反戦を強く訴えていた監督だったので信じて劇場に向かうことにした。
以下の感想は、ネタバレを豊富に含みますので、ネタバレをされたくない方は、映画をご鑑賞の後ご覧ください。
1番グッときた台詞
私が1番、心に残った台詞が吉岡秀隆氏演じる野田健治の戦争で犠牲になった人たちに対する言葉だった。みんな戦争で、餓死したり散っていったんだというような趣旨を話しているのを聞いていると唇を噛み、自然と落涙してしまった。
どんなに頑張っても、どんなに多くの命を犠牲にしても、全く歯が立たず、勝てはしない。むしろマイナスにしかならない。大戸島で、敷島に話しかけた青年の台詞も、まさにその通りなのである。
この戦争は、全く無意味で、何のためにやってきたことなんだろう。と胸が潰れそうになり、未だにやるせなくなる。
そんな馬鹿げた戦争から帰ってきてしまった自分達は、今度こそ誰かに命令されて死ぬんじゃなくて、自らの意思でゴジラに立ち向かって世の役に立ちたい、自分達の勇気と知恵で、生き残りたいと強く願った。その思いも、私の胸を強く打ってくれた。
爆風に恐怖する
ゴジラが東京銀座に向かって邁進していき、熱線を吐く場面は、まるで原爆を落とされたような風景だった。街のビルや家屋が一瞬にして吹き飛び、瓦礫が人々を包み込んで丸ごと崩れてゆくさまを見て背筋がゾクッとした。
ゴジラの体内には、放射性物質が溜まっているので、まさに原爆のような存在だとも言えると思う。
奴に近づけば、被爆してしまう。実際に、敷島は放射能で汚染された黒い雨を浴びて絶叫していた。
彼の叫びは、自業自得のような人間の愚かさへの痛烈な思いであると感じる。
勝てるはずもない先の戦争で、無駄な死を重ね、何もかも破壊してしまう脅威の実験をしたが故に生まれてしまった怪物。人間が自ら引き起こしてしまったことで、多くの大切な人を失った。
敷島の心底から湧き出る愚かな哀しい叫びなのである。
ここで、米国のビキニ諸島での水爆実験によって、ゴジラが生まれてしまった事をハッキリと映像で表現したのは、今作品が初であると思う。そこも高く評価したい。
(今までは、そこは何となくボヤッと表現していたように思う。彼の国に配慮しているように思う)
戦争に行ったことがない青年に憤る
戦争に行ったこともないのに、戦争では活躍できたはずだ。戦争が長引いたら良かったのに!と宣ってしまうのが水島四郎だ。
その言葉を聞いて、敷島は彼の胸ぐらを掴んで「本気で言ってんのか?」とすごむ
私も同じ台詞が口を突いて出そうだった。
現代でも日本を他国から守るのだ!と勇ましいことを言って、こちらから戦争を仕掛けようなどと愚かなこと繰り返そうとしている輩がいるが、戦争とは殺し合いであり、外交の失敗に他ならない。
そんな輩どもも、実際に戦争になってしまえばゴジラを見て腰を抜かして倒れた水島のように怯えて後悔するだろうと想像する。
そんな彼が、挽回したのがラストシーンである。
もう駄目か!と絶望の淵に居た対策本部の彼らの前に、多くの船を引き連れた水島がやってきた。
もしかしたら、この作戦に乗るのは嫌だと去っていた者たちも説得して連れてきたのではないか。
このわだつみ作戦に乗れば、もしかしたら死ぬかもしれない。
でも、何もしなくてもゴジラにやられてみんな滅ぶかもしれない。だったら、1%でも助かるかもしれない可能性に賭けたい!そう思ったんじゃないかと思う。
彼の存在がなければ、この作戦は、成功しなかった。
見事な野田考案の海神作戦
この何もかも失ったマイナスでしかない日本で、どうやって事を納めるのか?と関心があった。
野田の海の急激に変化する水圧でゴジラにダメージを与えるという作戦は、初期の1954年のゴジラを倒した芹澤の空気を無くして生き物を絶命させるという作戦よりも現実的で理に適っていると思う。
(そもそも、空気を無くしただけで生物があんな風に骨だけになるものだろうか?)
もちろん、この作戦だけでゴジラに致命傷を与えることはできなかったが、海に沈んだゴジラが抵抗したり、海に上がってきてゴジラが傷だらけになっていた様子を見るとやはり少なからずダメージを負っているのが見てとれた。
そこへ、敷島の空爆作戦が功をなしてゴジラに致命傷を負わせることができた。
彼は、己の命を賭けてまさに玉砕する腹づもりであったが、それを止めたのが橘だった。
橘が選んだ生かす道
敷島を怨んでいた橘が、どうして敷島を助ける道を選んだのか?単なるご都合主義ではないと思った。
大戸島にゴジラが現れた時、敷島は目標を撃つことはなく逃げてしまったわけだが、もし彼がゴジラを撃っていてもきっと敵わなかっただろうし、下手をしたら死んでいたと思う。
実際に、隠れていた橘の部下は、恐怖に耐えきれずゴジラを銃で撃ってしまう。それがそんなつもりはなくても、結果的にゴジラへの挑発になってしまい、あの大惨事となったのである。あのままコッソリと息を潜めてじっとしていればもしかしたら助かったかもしれないのに。
あの大惨事は、何も敷島のせいではない。橘もそう思い直したからこそ、彼に生きろと言ったのではないか。わざと挑発するような手紙で、殴られる覚悟も罵られることも承知の上で、橘を呼び出し、ゴジラを倒すために、命を捧げると言った敷島を見て、ここまで彼を追い詰めたのは自分だと思ったのだろう。ここで、敷島まで見捨てるなんてことがあったら、彼は自分をますます許せなくなるだろう。
脱出口さえない戦闘機に、橘が敷島を生かすためにつけた脱出口。思わず胸が熱くなった時だった。
不穏な典子の首筋の傷
あの強烈な爆風に巻き込まれていたのというのに、何とか生き延びていた典子。
一体どうやって?と思っていると、彼女の首筋に手術痕のような傷が見えた。
物理的攻撃からいとも簡単に再生してしまうゴジラよりも、彼女の首筋の傷の方に不穏さを感じてしまった。
どなたかの考察にゴジラは再生能力があるので、ゴジラの肉片が彼女に寄生していつかゴジラに取り込まれてしまう伏線ではないのかというものがあった。何とも恐ろしい指摘であるが、監督がわざわざこれをクローズアップするには意味があると思う。この先も続きそうな雰囲気で終わるのが定番の作品ではあるが、あまり不穏すぎて、次回作を見るのに恐怖を感じてしまう。そんなラストだった。
もし、次回作があるならまた山崎組での映像で見たいものだと思います。
ここまで反戦の訴えをはっきりと描いてくれたので、私の心配は杞憂に終わりました。
本当にありがとうございました。
追記 父が語った戦後の話
2023/12/12火曜日に、父とパートナーと共に、3度目のゴジラマイナスワンの鑑賞した。
父は、戦争の時代にも関心があるので、是非とも鑑賞してほしいと思っていたので誘ってみた。
鑑賞した後で、3人で昼食を取ることになり、父からぽつりぽつりと映画の感想が語られ、そこから父の戦後の話を聞いた。
父が戦後に産まれた人である。周りにはまだカーキ色の国民服を着た大人達がたくさんおり、靴はゴツい軍靴を履いており、頭にはお馴染みのカーキ色の帽子。その格好のまま農作業をしているのが普通だった。
そんな大人達が、夜に火鉢を囲んで戦地の話をしていた。父は子供だったので夜の時間はいつも眠くてウトウトとしているのだが、おじさん達の戦地での経験話には、目を爛々と輝かせて興味津々で聞いていたという。
その話が興味深かった。私もテレビで聞いたり、本では読んでいたが実際に経験をした人の話を伝え聞くと胸にガツンときた。
戦地では、ろくな食糧はなく、蛙や蛇を捕まえて食していたが…やはり衝撃なのは先に死んだ兵士達の肉である。それが1番旨かったと宣ったらしいのである。信じられないがそれが現実で、食わねば死んでしまう。生き延びるために食うしかなかった。やはり本当のことなんだ…内心ショックだった。
父と別れてからもその話が、自分の胸中で、ぐるぐると何度も回ってかなり堪えた。
戦後に父が見た光景やおじさん達の話から、具体的にその様子を想像してしまい、思わず胸から込み上げてくるものを抑えるので必死だった。
戦争は、エグい。本当に、残酷だ。太平洋戦争で、国民は振り回され続けた。
まだ戦争は、終わってない。もう二度と加担はしたくない。其の為に不断の努力を怠らず生きてゆきたいとその話を継承したいと強く思った。
最後にゴジラ関連のソフトのご紹介
ついに、ゴジラ-1.0もソフト化されました。もう劇場では公開本数も少なくなってきましたので、鑑賞して見たい方は、こちらのソフトをご購入ください。
配信もいいですが、ずっと手元に置いておけるソフトはこれから貴重になると思いますので、宜しければ是非!
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