最近、SNSでもトランス女性の女性スペース利用問題が浮上している。
トランス女性の女性スペース利用に、女性たちが抵抗や不安があるというものである。
こう聞くと、女性がトランス女性を差別しているように聞こえてくるが…少し落ち着いて聞いてほしい。
女性が受けてきた暴力
私も、初めは性自認が女性であるのに、男性スペースを使うのは、さぞ辛かろうと思っていた。
自分が今すぐ体が男性になったとしたら、男性スペースを使うのは、大変苦痛である。
しかし、最近はもしかして私の感じている苦痛とトランス女性が感じている苦痛は別物なのではないかと思ってきた。
どういうことかというと、女性は、永年男性からの暴力を受けてきている。
性的なことだけではなく、すれ違いざまにぶつかられたり足を踏まれたり、舌打ちをされる。
女性というだけで、自分には抵抗してこないだろうと舐めてかかってきているのである。
性暴力も見えていないだけで、本当にたくさんある。
女性は、性被害を訴えると、冷笑されたり馬鹿にされたり、どんな風に被害にあったか興味本位で聞いてこられるので、何も言えなくなる。
警察に相談や被害を届け出ても、あなたが悪いんじゃないかと責められたりするケースもある。
示談で済まされる場合もある。心身にショックと傷を受けた女性は、街頭で道ゆく人に訴えたり、裁判で徹底的に争うなどという気力も体力も残っていない。仕方なく示談に応じる人もいる。
だから性被害というのは、表に出てこないしカウントもされない。
このようなことがあるので、女性が男性だらけのスペースを使う際には女性は、恐怖を感じる。
しかし、トランス女性は、不快感はあれど恐怖はあまり感じてないのではないかと思う。
姿が女性なので、男性からの暴力を受けてしまうトランス女性もいるだろうが、少なくとも男性と同等くらいの体力と腕力を持っている。女性は持っていない。いざとなっても抵抗できない。
(もちろん、性被害に遭っている男性もいるし、力があっても咄嗟に抵抗できない男性もいるかもしれないが力はあるのは事実である。)
試しに、細腕の男性に腕を押さえてもらったことがあるが、すごい力でとてもじゃないが敵わなかった。ちなみに、彼は本気を出していない。それでこれなのかと力の差は歴然であると思い知らされた。
信用されていない男たち
トランス女性は、女性スペースを普通に利用するだけで、暴力を振るう人ばかりではないということは、頭ではわかっているが、長年蔑ろにされてきた(そして今もされている)ことは、簡単には拭えないのである。要は、女性は男性を信用できない。
それほどまでに、女性が受けてきた男性からの暴力は凄まじいのである。
痴漢やレイプ、盗撮、幼女プレイなどの犯罪めいた内容の劣悪なアダルトコンテンツなども女性の人権を無視している。
ろくな人権教育や性教育を受けていないのに、このようなコンテンツを見てしまうから勘違いして犯罪に手を染める者もいる。
そこへ、身体的男性が、女性スペースに入ってきたら警戒して当然なのでは??
ゆえに、女性は、トランス女性には、女性スペースではなく多目的トイレや共同トイレを利用してほしいと訴えているのである。
女性スペースが使いたければ、まずは女性からの信頼を取り戻さなければならないのではないか。
今まで、散々女性に辛い思いをさせてきたというのに、ここにきていきなりトランス女性だから女性スペースに入れてくれと言われても簡単に信頼できないだろう。
最近、日本共産党やれいわ新撰組などが、トランス女性に女性スペースを使わせるべき!との声をあげているが、トランス女性が共有スペース使うのが、なんでそんなに駄目なのか?
トランス女性も見た目が女性なので、男性からの性被害に遭ってるというのだろうか?
それも突き詰めると、男性のせいであって、女性のせいではないはずだ。
元々男性同士の問題なのである。
なのに、なんで女性スペースに入れろよ!それくらい我慢しろよ!と女性にケアさせるのか?
それくらいとは、そもそもなんなのか?
れいわ新撰組の大石あきこなど、女性スペースにトランス女性がいても気にするな!などと言ってよだかれんと共に大爆笑していた。
トランス女性が差別されてるからって、そればかりに過剰に反応して女性を蔑ろにしすぎなんじゃないかと思う。
もちろん、此方はトランス女性=性加害を加える者だとは思っていない。でも、実際にトランス女性を装って性犯罪に手を染める男はいる。見た目が女性であれば、それを女性は、見分けることができない。
Twitterでは、犯罪が起これば分かる!などという極論もあったが、犯罪が起こってからでは、遅いだろう。被害に遭った人は、一生心と体に傷を負うかもしれないというのに。
女性に寄り添ってくれるトランス女性は、既に男子トイレもしくは、共有スペースを使ってくれている。
自称トランス女性への不信感
私が、もう一つトランス女性に不信感があるのが、トランス女性の「女性のいいとこ取り」である。
例えを出すならば、先述した体力や腕力などが男性のままなのに女性だけのスポーツ大会にトランス女性として参加して優勝してしまうなど。これは公平とは言えないのではないか。
女性はどう頑張っても男性より不利になるのに。
トランス女性と自覚していたのに、結婚して子供まで作ってから実は女性になりたいとカミングアウトした例。この時点で、妻を騙しているのだが、その後も家事や育児もしないどころか妻に自分の髪を解かせたり、自分の世話をさせていたトランス女性もいた。
こんな自称トランス女性もいた。自身は、ゲイであるのに女性の格好をして彼氏と付き合う方が周りの偏見もなく便利だからそうしているというもの。これは明らかに「トランス女性ではない」そしてこの人物は、市議会議員であった。見た目は女性であるが、本名や戸籍は男性のまま。経歴も男性のまま。
いいとこ取りで、ずるいかもしれないがこれで通すと宣言していた。
(これに関しては、ゲイへの偏見なのでそれはそれで、苦しく悩ましいことであるが、解決方法がおかしいと思う。女性になりたいわけではないのに、見た目が男性よりも女性にした方が手っ取り早く偏見から逃れられるという要は、単に楽したい方法だと思った。)
トランス女性と自称し、姿形を女性にしてみたら、女性差別はされるし、暴力も受けるし、それが辛くて辛くて、やっぱり男に戻りたい!と泣きついていたトランス女性もいた。
このように、女性のいいとこばかりをとって生活されたら女性は、溜まったものではない。
女性に成る覚悟はできているのか?
善良なトランス女性??
私は、本当に彼らが女性になる覚悟ができているのか疑問である。
女性差別や暴力に耐えられるのか?女性と共に戦う覚悟はあるのか?
女性は、まだまだ生きにくい世界である。
これまでの男性の女性蔑視が、結果的に女性だけでなくトランス女性の首も締めているのではないか?
若い世代は、女性差別をした覚えがなくても過去のツケを払わされ、尻拭いをさせられているのは納得できないかもしれない。でも、戦わなければ自由と権利というものは獲得できないものなのだ。
だから、今こそ女性とともに戦うしかない。
あなたが、本気で女性になりたいと思うのであれば是非とも声をあげてほしいと思う。
そうすれば、女性から信用を取り戻すこともできるかもしれない。
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