ドラえもんのび太と空の理想郷を観劇してきた。2023年3月3日土曜日から絶賛公開中である。
公式サイトはこちら。
今回の映画は、歴代の長編作品には名前がなかったので、リメイクではなく完全オリジナルのようだ。
以下に感想を述べたいと思います。
※ここから先は、完全なるネタバレを含みますので、未視聴でネタバレを知りたくない方は、ここでお引き取りください。
異変を感じるパラダピア
パラダピアに足を踏み入れたのび太達を見ていると、何やら異様な雰囲気を感じ取った。
みんなニコニコしていて、批判や争いなどは一切なく、学校も遊びながら楽しく学べる環境、勉強ができなくても誰も非難しない。むしろ皆、優しく励ましてくれる。
夜は、皆八時には寝て、五時に起床する。大人達も、のどかに働きながら暮らしていて、健康的な毎日を送っている。
一見、まさに理想郷なのであるが、誰も感情の浮き沈みがなく淡々と「ただ生きているだけ」ということに強烈な違和感を感じた。
それは、劇中の「のび太」も感じ取っていたことで、ジャイアンやスネ夫が理不尽なことをされても優しく穏やかになってどんどんジャイアンやスネ夫が「らしく」なくなっていって行くことに何処かおかしいと思い始める。
それでも、3賢者様の言ってることは、素晴らしいし何も間違ってはいないのだと思い込みたいのび太。こうして洗脳というのは出来上がって行くのかと心底ゾッとした。
近年でも、悪徳新興宗教の信者への洗脳が取り上げられているが、まさにいまタイムリーな話を取り上げてくれたなと感服してしまう。
感情や個性を持つということ
感情に起伏などがあるから、争いが起きて人々は歪みを生んでしまうのだ。と言われればそんな気もするのだが、理不尽なことをされても抗議しない、批判をしないということは、自由や権利はいつか奪われてしまうことになる。
例えば、女性たちは、女性差別に対する理不尽に、強く抗議や批判してきたから、女性は権利を勝ち取ることができているのである。(今も理不尽さは根強く残っているのだが)
パラダピアには、それがない。抗議も批判もなければ、腹の底から笑ったり泣いたりすることもない。
皆が「同一に良くなって行く」ので、個性もない。ここで言う「ただ生きているだけ」ということはそういうことである。
個性がなければつまらないし、なんだか生きている甲斐もない気がする。
ここでいう個性というのは、人よりもずば抜けた個性を指しているのではなく、○○が好きだ。とか○○が得意であるとかそういうことである。逆に○○が嫌いだし、○○が不得意である。というのも個性なのである。それがあるから人間は面白いと思う。皆が一律にパーフェクトであれ!というパラダピアを見ていると私は息が詰まってくる。
歪みはどう解決していくか
そうなると、個性や抗議などがあると争いは絶えない。現に今もそうである。
が、しかし一律にパーフェクトであるということは不可能であるし、争いがなくともパラダピアにはレイ博士による「支配」があった。
レイ博士自体には、支配による平和を保てればそれでいいという思いがあったやも知れぬが、独裁者には変わりなく、個性も何もない世界が発展するのかと言われたら否であると思う。
さまざまな意見やアイディアがあるから、人類はこれまで進化してきたのであり、これがなければ何処かで詰まってしまうのは火を見るよりも明らかであろう。
しかしながら、歪みはどう解決して行くのか。それは我々にとっては永遠のテーマであり、簡単に答えの出るものではないと考える。お互いを尊重して意見を述べあい、歩み寄るしかないと思う。
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