シンウルトラマンのセクハラ描写について

シンウルトラマンのセクハラ描写について 徒然思うこと

2022年5月13日に、映画・シンウルトラマンが封切られた。コロナ禍において公開が延長され、ファン待望の封切りであったのか、かなり話題になっていると思う。

パートナーがウルトラマンのファンであることと、シンゴジラがとても興味深く面白かったので、私も鑑賞してみることにした。

そこで、Twitterなどで話題になっているセクハラ描写について私なりの見解を書いてみようと思う。
尚、こちらの記事では、ネタバレを含むので映画を鑑賞してから読むことをお勧めいたします。

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どこがセクハラだと思ったのか

今回のシンウルトラマンの公開を受けて、Twitterなどで、セクハラ描写がすぎる!となかなか手厳しい意見が見られたが、私は個人的には、そこまで露骨であったかなあ?という印象であった。
よく考えるとそうかなとは思うが、30年前の映画やドラマの濡れ場やセクハラ的な描写と比べるとそこまでではないのではとも思った。

そんな中でも映画を振り返ってみてセクハラ描写だと感じた場面といえば、大きく分けると長澤まさみ演じる浅見がウルトラマンである神永に体臭を嗅がれるところ浅見が巨大化した際に、ローアングルから彼女のスカートを覗くように撮影されていたところの二つだと感じた。

体臭を嗅ぐという行為に敵を追跡をする理由があるにせよ、そのような行為が必要だったのか?と疑問には思った。Twitterでも批判回避のために、わざわざ「これは、必要なことなんだ」という理由をつけて卑怯だなどというニュアンスの指摘もあった。

敵に気づかれないように、アナログ的な追跡をするにしても他のやり方があったんじゃないかな?とは思った。これが、ダイジェストのように斎藤工が舐めるように長澤まさみの体臭を嗅いでいる場面だけを切り取ってみると一体なにをしているのだ?と思ってしまう。しかも、(忙しくて)「お風呂入ってないから」という浅見の台詞まである。ウルトラマン神永は、体臭が臭くて気になるんだという彼女の気持ちが一切理解できないという感じではあったが、体臭で追跡しなければならないという提案に、明らかに浅見は動揺していたし、若干嫌がっていたように見えた。
(よく、恋人同士で男性が女性の匂いを嗅ぐという仕草をしたり、描写もあるが私は正直言ってあれをされるのは、あまり好きではない…。←実際されたこともある。浅見のように相手にとって体臭が変な匂いだと感じたら嫌だなと思うし、そうでなくともやっぱり気持ち悪いと感じる。)

もう一つの、浅見が巨大化した際に、ローアングルから彼女のスカートを覗くように撮影されていた場面だが、ひらひらしたスカートの裾が強調されスカートの中が見えそうで見えない感じだった。おそらく実際は、彼女のパンツも見えていたのだろうが、黒い影で塗りつぶされていた。

スカートの中を覗いてやろう!という意図ではなく、浅見が巨大化した迫力を見せるための敢えてのローアングルなんですよ!という主張も通らないことはない…なのでこれも微妙な線だなあと思った。
こちらも、批判回避でしかない言い訳だと言われたらそんな気もしてくるのだが。迫力を出すという意図があるなら別にパンツスーツでも良かったわけだし。テレビシリーズのウルトラマンの女性隊員の制服もズボンだったのだから。(巨大化するのは、テレビシリーズのオマージュということは知っている)

シンゴジラでも石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンもスカートは履いていたように思うが、スカートを強調する場面はあまりなかったので、スカートを履いていたかどうかさえ意識しなかった。

振り返ってみれば…

このように、細かく振り返ってみると、どうも女性を性的に消費するという意識がどこか見え隠れしているとも取れなくはないと思った。(人によっては、思い切りセクハラじゃないか!と言い切っている人もいたが)

あとは、やたらと浅見が自分の尻を触るという場面。「気合入れるわよ!」と言いながら尻を叩いて自らに喝をいれるという描写だった。それもわざわざ尻を触らなくてもいいだろうに。と思った。

最後には、ウルトラマン神永の尻を叩いて気合を入れていた。自分にするならまだしも、他人にそれをしてしまったらそれこそ、思い切りセクハラだろう。そもそも他人の身体は安易に触るものではない。
この尻を触るという場面、パンフレットを読み込むとなんと庵野秀明が脚本に既に書いてあったと樋口が語っていた。庵野監督が作ったエヴァンゲリオンについては、個人的には女性の性的搾取の描写も多く許せないと思うところが多々あるので、彼らしいなあとは思った。体臭の件も、ローアングル撮影の件も監督である樋口真嗣ではなく、庵野の提案なのでないか?と勘繰ってしまう。
この描写で、ゴーサインを出した樋口も結局は、その表現を良しとしているのは変わりないんだが。

自分の感覚が間違っているのかもしれない?

私のシンウルトラマンのセクハラ描写に対する感覚は、先述したように、さほど露骨でもないのでは?というものだったが、Twitterの反応を見ていると、私が指摘した描写に憤慨している人もいたし、セクハラ描写があると聞いただけで、鑑賞に拒否反応を見せる人もいた。

20年前ならこの場面を見ても誰も話題にすらせずにスルーされていたんだと思う。今、ここまで言われるのは、今まで性的搾取をされてきた人が、大きく深く傷ついているからだろうと思う。私もその当事者であるはずなのに、これは大したことないのでは?と思ってしまっているあたりを考えると、少なからず加害者に洗脳されているところもあるんじゃないか?と思った。

女優は、脱いでナンボ、脱いで濡れ場をやって体を張らなきゃならないんだ!と男の演出家に言われてその通りにされていた女優さんも過去にいた。でも、それを覆したのが宮崎あおいだった。
NHKで放送された葛飾北斎の娘、葛飾応為を演じていたドラマ「眩(くらら)~北斎の娘~」で惚れた男と寝るという下りがあるのだが、その場面は既に事後であった。それでもそうであったのだという色気が彼女から滲み出ていた。その衝撃が今でも忘れられない。脱がなくても濡れ場がなくても色気は出せることを彼女が証明してしまったのだった。

宮崎あおいは、濡れ場を演らない女優である。少なくとも私は一度も見たことがない。
彼女も、今までの芸能界の演出の仕方に疑問を持っているのではないかと思う。

少しでも性的搾取をしているような描写があると、すぐさま指摘されたり批判される。

やはり時代は、確実に変わってきてるんだなと思った。


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