生命の沙汰(12)

連載小説

「よう、いらっしゃったな。神田美栄子殿

と頭上から落ち着いた老人のような声が聞こえた。

え?」美栄子が、声の主の方へ目をやろうと、頭上を見上げると…

 高い木の上から、老人が飛び降りたかと思うと、クルクルと回転しながらスタッと地上に降りてきた。

「は、あ、、、あの」美栄子が唖然として老人を見つめていると
「寿郎の御令嬢じゃろう?お待ちしておったよ」と老人は、振り返ってニヤリと笑ってからスタスタと歩き出した。

(父の名前も、何も言ってないのに、、)と少々気味が悪かったが、素直に郷照寺の後ろをついていくことにした。

郷照寺は、本殿から少し離れた別邸まで歩いて行って、美栄子を招き入れた。
それから美栄子は、居間に通されて座って待っているように言われた。

居間の和室の畳は、まだ井草の香りが豊かで、畳替えしたばかりだと分かった。
美栄子の目の前にある机は、漆がしっかりと塗られていて濡れたような艶がある立派なものだった。

今の入り口の襖の側には、机と同じ色のどっしりとした大きな水屋があった。
あとは、天井の和風の照明だけのシンプルな部屋であったが、どれも立派で高級感あふれる家具だと思った。

しばらくすると、襖がスーッと開いて郷照寺が、熱い緑茶を二つ漆塗りの盆に乗せて現れた。

「お待たせしたね。こちらもどうぞ。」と水屋の戸を静かに開けて蓋付きの欅の菓子鉢を出してきてお茶と共に差し出してくれた。

「あ、ありがとうございます」美栄子は、ペコリとお辞儀をした。

「さて。大体のことは寿郎から聞いておるよ。なんだか厄介な奴に付き纏われているみたいだねえ。」と郷照寺が顎髭を触りながら言った。

「え。厄介なもの?」美栄子は、キョトンとした。

お前さん、もしかして気づいておられんのかね?


郷照寺がぎょろりと美栄子を見た。

「は、、」美栄子は肩をすくめると、郷照寺はニカっと笑って

「まあ、お茶でも飲みなさい!」とお茶をスッと美栄子の前に押し出して菓子鉢の蓋を開けた。

菓子鉢には、艶のある美しい羊羹と煎餅が並んでいた。
「う、うわあ美味しそうですね。い、いただきます…」と、さっきの事はどういう意味だったのだろうか?と美栄子は、不審に思いながら茶を啜った。

「あの、先生、先程のことはどういう意味だったんですか?」美栄子は上目遣いで恐る恐る聞いてみた。
「そんなことより、お前さん、倒れた時のことを詳しく教えて下さらんかね?」郷照寺が畳みかけるように言った。

「あ、はあ、あのときは…」と美栄子は1度目と2度目に倒れた時のことを詳細に伝えた。
郷照寺は、目を瞑って髭を触りながら黙って美栄子の話を聞いて頷いていた。

美栄子がひとしきり話すと、郷照寺は、しばらく腕組みをして何か考え事をしているようだった。だんだんと気まずくなってきて、美栄子が口火を切ろうとした時。

「なるほどのう。」と郷照寺が、ゆっくりと目を開けて言った。
美栄子が固唾を飲んで次の言葉を待っていると…

お前さん独りでは、解決できんじゃろうなあ〜!」と郷照寺は、言い放った。
「は?」美栄子は、呆気に取られて思わず口走ってしまい、慌てて口を塞いだ。

「そんなことよりな、お前さん、話に出たその英子さんとやらをここへ連れてきてくれんか?」
郷照寺は、慌てる美栄子を構わずグイッと身を乗り出してきて宣った。

「え?英子さんですか?」美栄子は、キョトンとした。
「そうじゃ!その子に会ってみたいんじゃよお〜!」郷照寺は、髭を触りながらニヤニヤした。

「えっと、英子さんに会いたいって言うのは、どういうことでしょうか?」美栄子は、顔を引き攣らせながらも、務めて冷静に聞いた。


「とにかくな、その子のことも見てみないと何とも言えんのだよ。」と郷照寺は、英子に会わせろの一点張りで、理由は言わなかった。

(一体、何なのよ…そんなにおいそれと女性を、しかも恋人が居る人を会わせられるわけないじゃない!この人、本当にお父さんの師匠なの?)

美栄子が呆れながら何と断ればいいか迷っていると

「お前さん、一人で何とかできると思っておるのか?」とまた郷照寺が詰め寄って問いかけてきた。

「いえ…ですから、先生にこうやってご相談しているんです」美栄子は、若干苛々しながら答えた。

だったら!とにかく英子さんを連れてこいと言っておるんだ!」郷照寺が怒鳴った。
美栄子は、ビクッとして固まった。

(どうしよう…とにかく一旦持ち帰って父さんに相談しようか。)

「…とりあえず、英子さんのご予定を聞いてみないことには何とも言えませんので、今すぐにはお答えできません。」と美栄子は、ピシャリと言った。

「予定のう。予定とか都合とか言っとる場合ではないがの。まあ、手遅れになってもいいならそれでもいいがなあ?」と郷照寺は、つまらなさそうに髭を弄っていた。

(本当に何なの??)

(そういえば、さっき出されたお茶、何か入っているんじゃ?)と思い始めると何だか胸の辺りが、ムカムカと湧き上がるように気持ち悪くなってきた。

「すみませんが!またご連絡いたします!今日は、これで失礼します!」美栄子は、カバンを抱えて勢いよく立ち上がってお辞儀をして踵を返そうとした。

英子さんには、白龍がいておるのかもしれんのう?

と、郷照寺は、美栄子の背中に向かって投げかけた。

美栄子は、思わず振り返って目を見開いた。

「と、とにかく!今日は失礼します!」

(一体どうして…???)

美栄子は、青ざめながら郷照寺の自宅の長い廊下を早足で駆け抜けた。

先読みは、此方!

1話は、こちらから!

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