家事育児をしない夫が、批判され始めている。
女性の社会進出も目覚ましく、男性と同様もしくはそれ以上に活躍している姿もみられるようになってきた。そんな中で、男性が仕事を理由に家事育児ができない!という風に言いづらくなってきてしまった。女性は、仕事をこなしながらも家事育児をキッチリしているのだから。
私も、仕事を理由に家事育児が出来ませんというのは怠慢だとは思う。
だけど、仕事と家事を両立出来ない人も世の中にはいるし、男性が家事育児を女性に任せきりにするようになったのは、過去の社会のあり方にも問題があるのではないかと思う。
仕事上で、上司や同僚との呑み会を断れば仕事を干されてしまうというのが当たり前の時代が確かにあった。そういう状況で、職場でも文句をいわれ、家でも妻にも注意をされたら夫は、板挟みになるだろう。
そんな職場など辞めてしまえ!というのは簡単だが、最近意識がだんだん変わりつつあるとは言え、日本社会というのはそういう職場の方がまだまだ多いのではないかと思う。
なので、転職しても飲みに付きあえない奴は付き合いが悪いと表立って言われなくても陰で言われるのではないだろうか。
仕事が出来る優秀な人とは、呑み付き合い出来る人とか上司をおだてる能力がある人ではないだろう。実際に仕事をこなせるかどうかである。
そういう仕事の能力とは関係のないこういう悪しき風習はなくしていくべきだと思うが、板挟みでどうしようもない人に対して「使えない夫」と言って切り捨てるのはあまりにも冷たいのではないか。
怒りの矛先を向けるべきなのは、夫ではなく職場やそういう風潮を作っている社会ではないのか。
勿論、夫も意思を強く持って断るとか、そういう悪しき風習がない職場に移るなどという努力も必要だとは思うが、根強く残っているこの意識から逃れるのは容易ではない状況であるならば、妻も少しは歩み寄ってみてはどうだろうかとも思う。
日本社会の常識というのは、なかなか変わらないし変えるのは容易ではないと思う。
でも、30年前の常識は今は覆っているものも沢山ある。女性が重役に就いたり、男性と同等に稼げたり、夫に物申すなんて出来なかったが今は出来ているところもある。なので、諦めずに声は上げていくべきであるとは思うが、夫にもそれなりの事情があるので、少しでも歩み寄って二人で力をあわせて人生を生きていかなければならないのではないかと思う。
効率よく家事ができないことにイライラとする妻もいるだろう。でもやったことがなければわからないのは当然である。
入社したばかりの職場でやったことのない仕事なのに、「お前は無能か!」と怒られるのは理不尽だと思うだろう。今までどうしてやってこなかったのかとか、親からちゃんと家事の教育を受けてこなかったのかと言いたくなる気持ちは分かるが、そんなことを言ってもできないものは、仕様がないので教えて出来るようになって貰うしかない。なので単に文句を言うのではなくこうしてくれる?といえばいい。それに対して「うるさいな」とか「せっかくやってるのに!」と反発されたらそれは、もう怒ってもいいと思う。
とにかく双方とも歩み寄ることは大切だと思うのだ。今は、どうすればお互いに折り合いをつけてうまくやって行けるかということを皆が試行錯誤している時代な気がする。転換期なのだと感じる。
この先、子供たちが生きやすくなるか生きにくくなるのかは、われわれ大人たちが、毎日どういう決断を下していくか。毎日の積み重ねはどうするか、にかかっていると思っている。
それは、とても辛くてしんどいことだけど、子供たちの未来の為にも闘うということはそう言うことだと思う。
今一度考えてみてはどうだろうか?
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